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5月17日〜23日、ズデニェク・ハクとマレク・ホレセクは、7日間をかけてついにチャムラン(ネパール:標高 7321m)の北西壁初登攀に成功、史上初の快挙を成し遂げた。かつて誰も征服できなかった中央ヒマラヤ山脈の標高差2,000 mの巨大壁に挑んだ 2人の登山家の挑戦とは?マムートプロチームアスリート、マレク・ホレセクによるレポート。
私のこの物語は、20年前、チャムランのその美しい輪郭に尊敬と恐怖の念を抱きながら「いつかこの巨大な垂直壁に挑んでみたい」と夢見たことから始まります。そして昨年、チャムランは再び私を呼び寄せました。挑戦への畏敬の念とともに、唯一の想いが頭から花成れなくなったのです。「何を待っているんだ。挑む時が来たのではないか?」

嵐の前の静けさ

ハクと私はチャムランの麓にベースキャンプを張りました。時々サンミゲールビールに助けられながら高所順応は順調に進みました。大自然の中には私たちだけ。荒涼とした雪山に囲まれた人気のない極上の場所。チャムラン近くに数日間キャンプし、サイトを記憶するために山塊の下で多くの時間を費やしました。気象学者が衛星を通じて精度の高い天気予報を毎日送ってくれました。実際、天気は良かったのですが、登攀を成功させるためには、少なくとも3日間連続して雨と強風のない最善の条件が必要でした。

厳しいコンディション

ついにスタートの時が。私たちの装備は、ビバークテント、直径7 mmの80 mロープ、アイススクリュー6つ、フック5つ、5人の友(カメラ)、食料5日分、ガスカートリッジ3つ、そしてなにより大量の幸運。5月17日は凍てつくような寒い朝でした。最初の数メートルは緩い砂糖のような雪のついた岩を行く条件の悪いミックスクライミング。この最初のセクションを乗り越えたときには、アイゼンは砕け散り、アイスアックスは氷に刺さらず飛び跳ねていきました。

初日の格闘を終え、落石や降雪から身を守る場所を探しました。雪崩の恐ろしさを目の当たりにした私たちは、ただ雪崩に遭遇しないことを願うばかりでした。2日目は巨大な障害物と、砕けた氷の破片が私たちに行く手を阻み続けました。破片に当たる危険を最小限に抑えるため、できるだけ早くこのセクションを通過する必要がありました。この挑戦を終えた後、私たちはビバークと次のキャンプのためにセラックの上の場所を見つけたのです。

もう引き返せない

3日目は、最も長いクライミング区間が待ち受けていました。この先はもう引き返すことができません。降雪。強風。容赦ない急な壁が立ちはだかりますが、前に進む決心をしました。まるでコンクリートのような硬い氷の上に、柔らかな雪を纏った場所に出くわしました。確保もままならないこの悪い状態が永遠に続くのだろうかという絶望と疲労感、そして降雪が私たちを襲いました。しかし私たちはビバークの場所を探さず突き進みました。

結局、私たちは岩のわずかな隙間に身を置かざるを得ませんでした。そこは2人で並んで座るには狭すぎたので、一人ずつ交代しながら眠り、できるだけ体力を回復させようと努めました。それは「リラックス」や「バッテリーを充電する」という状況ではなく、「無駄にエネルギーを消費しない」ことで精一杯だったのです。終わりなきクライミング

4日目の朝、私たちを待っていたのは70°を超える程の傾斜の氷壁。登れば登るほど、山は私たちの上に絶えず成長しているように感じました。しかしいつか終わりはやってきます。午後、最後のセクションを征服し、ふと自分が鋭い尾根の上に立っていることに気づきました。そこには絶景が広がっていました。風は非常に強く、気温は氷点下0度を下回っていました。

GPSによると、頂上は尾根から200 m、標高差は100 m。しかし日が暮れるにつれ、嵐が激しさを増し突然すべてを覆い隠してしまいました。幸いにもそのロケーションはテン設置トにとってはいい環境でした。すべては明日、頂上はどこにも行かない。

頂上からの圧巻の眺め

翌日、シャムラン山脈に続く南の肩に合流する地点まで尾根に沿って進みました。

午前10時、ついにメインサミットに到達。滞在時間は、写真を撮るためのほんの数分。凍った微笑みと少しの会話を、氷のように冷たい風があっという間に吹き飛ばしていきました。写真を撮ると私は脱力感に襲われました。ハクはそこで時間を費やしたくないようでした。観客のいない成功のような、マウンテニアリング人生の輝きと哀しさ。本当の喜びは、無事麓に戻ってから湧いてくるのです。

山頂を越えて白い空間へ

頂上の背後には、とても危険な1kmにも及ぶ終わりなき尾根が続き、再び濃霧に覆われたので私たちはコースから外れてビバークすることにしました。視界も悪く、踏み外せば何千メートルも滑落してしまうのです。ハクは雪でサンタクロースのような風貌になりました。夕方に食べた2本のキャンディーバーを最後に、ついに食べ物が無くなりました。私たちは徐々に肉体的にも精神的にも限界に達しつつありました。

翌日、カスケードクレバスの荒涼な氷河が私たちを待ち構え、登りきるのに何時間もかかりました。再びの濃霧により巨大な氷河の下に6度目のビバークを設置することになりました。それはまるでサメの口の中で寝ているようでした。足元から忍び寄る極寒に耐えながら、明日こそは暖かな夜になることを想像し、7日目遂に私たちの試練は終わりました。午前中は、数回の懸垂下降やモレーンを越える必要がありましたが、ついに終わったのです。スタートから 160時間後、私たちは山の容赦ない支配からついに解放されました。

最後に

最初に、私は60年前サウスリッジへの初登頂を成し遂げた人々に敬意を表します。当時はおそらく今よりも多くの雪があり、手法はクラシカルスタイルで登らなければなりませんでした。そして今よりもはるかに情報が少ない中での挑戦でした。彼らは本当にタフな人たちでした。

ハクと私は、高さ2,000 mの過酷な北西壁をアルパインスタイルで登る初登攀を成し遂げ生還しました。マーク付けされたルートをABO、すなわち "Abominablement difficile(incredibly difficult )"として分類しました。その意味は「信じられないほど難しい」ということ。ラインホルト・メスナーとダグ・スコットが「UFOを発見した」とコメントしたことに由来して、ルートを「UFOライン」と命名しました。また私の傍にはハクという名の素晴らしい宇宙人がいましたからね。最後に、チームが困難に直面したときに抱くネガティブな感情的負担や緊張を抑え、常に平常心で楽しませてくれたハクに心から感謝します。
 
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