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「私のように目立つ存在になるには、それなりの犠牲と傷つく覚悟が必要となります。」とエリン・パリシは言います。「でも、このメッセージは発信しなきゃいけない。トランスジェンダーの人たちが冒険への道を見つけることができるよう、私たちは橋を架ける必要があります。」

パリシはいまだに、提唱者という肩書きにためらいを感じています。しかし、アウトドアをすべての人のためのものにするという使命を果たすために、彼女は、私たちの誰もが声を上げる際に直面する恐怖、自信喪失、そして不安を乗り越えてきました。
まだ無名のコロラド州出身者であった彼女は、2018年に”セブンサミッツの各山頂にトランスジェンダーの旗を掲げる初のトランスジェンダー・アスリート” を目指すことを発表しました。

経験豊富な登山家として、彼女は人生の大半を登山に費やしてきました。しかし、2016年にトランジションした後は、パリシの個人的な目標は、アウトドアにおけるトランス・コミュニティの物語を変えるという使命に変わりました。

「私はトランジションをしたことで、陰に追いやられ、自分の声を失ったように感じました。」とパリシは言います。「私はそれに立ち向かい、隅に押し込めらない場所で、『これが私。自分に誇りを持っている』と言いたかったのです。」

この4年間で、パリシはオーストラリアのコジオスコ、タンザニアのキリマンジャロ、ロシアのエルブルース、アルゼンチンのアコンカグア、最近では南極のヴィンソン・マシフに登頂しました。そして今、彼女はデナリの登頂を目指しています。

今月、3週間をかけて、パリシは標高6,190mの ”アラスカの巨人” に挑みます。
パリシは自身の非営利団体「TranSending 7」を通じて、トランスジェンダーの権利の向上に尽力しています。

近年、トランスジェンダーの人々が競技スポーツに参加することについての議論が脚光を浴びています。一部の有名な組織や政府指導者の中には、トランスジェンダーの競技大会やスポーツプログラムへのアクセスを制限する動きもあります。

スポーツ参加に関するガイドラインは競技によって大きく異なります。また、最終的な決定をするための判断材料は非常に限られています。これは、トランスジェンダーの競技人口が非常に少なく、エリートレベルで競技している選手はさらに少ないということが主な理由です。

各大陸で最も高い頂に立とうとするパリシの努力は、スポーツの場において、たとえ個人的な追求であっても、トランス・コミュニティが直面し続けている壁を浮き彫りにしています。
「以前はどこにでも行って、やりたいことは何でもできたんです。」と彼女は言います。「私の存在が犯罪と見なされることはありませんでした。 しかし今は、私が行く多くの場所で、私の存在は犯罪なのです。」

「しかしもちろん、私は山に登るため、私の存在を抑圧するような法律のあるタンザニアやロシアにも、堂々とまた行きました。 それが当たり前のことだとは思っていません。長い間、私はその機会を失ってしまったと感じていたし、実際に色々な意味で失っているのですから。」

パリシが直面したハードルは、彼女が焦点を当てている、トランスジェンダーの青少年がスポーツプログラムへの参加のしやすくする活動のインスピレーションとなりました。

現在アメリカでは、18の州でトランスジェンダーの青少年が学校スポーツに参加することを禁止または制限する法律が制定されています。

「スポーツすること から多くのチャンスが生まれる。それは幼い頃からの成長するための道であるのに、トランスジェンダーの人々からそれが奪われつつあるのです。」
「ごく少数の人々を抑圧するために、莫大な政治的エネルギーが費やされています。子供たちをアウトドアから遠ざけ、今後これらの土地を保護し、管理してくれる人々との連帯関係を築く機会を失っています。」

パリシは、若い世代を巻き込み、安全な場所を作ることは、アウトドア・コミュニティの人々の責任だと語ります。

「私は、人々の健康のため、そしてアウトドア・フィールドのために、みんながその場所とつながるための小さなパイプ役になれればと思っています。」

「結局のところ、大学スポーツであれ、オリンピックであれ、優勝者が決まりそれが終了したあとに、競技が私たちに残してくれるものは、自然公園などの公有地に出かけて深呼吸をし、自然の中でそれらのアクティビティを行うことで得られる健康上のメリットを享受する権利と能力だと私は思っています。」

国際オリンピック委員会は、「スポーツの実践は人権である」と憲章に記しています。
パリシは、自分のストーリーを共有することで、LGBTQコミュニティの他の人々が自分の物語をコントロールできるようになり、アウトドア・フィールドがすべての人のためのものになることを願っています。

「12~14歳のとき、私には目に見えるロールモデルがいませんでした。」と彼女は言います。「私はただ孤立していて汚名を着せられたと感じていました。カミングアウトする可能性なんて無いと思っていました。」

「私が自分の物語を共有したい理由は、もし真夜中に、非難され孤独を感じ、社会から受け入れられていないと感じている人が私の物語を見つけたら、こう言えるからです。『これはトランスジェンダーの物語であり、それについて話すことは何も問題無い。私は何も変わってはいないし、私が誰であるかを抑圧する必要もない。』と。」



エリン・パリシの非営利団体についての詳細や、彼女のセブン・サミットのミッションについては、TranSending 7のウェブサイトをご覧ください。※英語サイトとなります。

 
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