これは感動的な物語。 MAMMUTアンバサダー トム・ベルツは8歳の時 癌により左足を失いました。それから 23年後の2018年夏、なんとトムはキリマンジャロの頂上に到達。それ以来彼の人生は大きく変化しました。 MAMMUTはプロジェクトの数ヶ月間、彼を追い続けました。

TOM BELZ:"NOBODY WOULD HAVE TOLD ME THAT I COULD ACHIEVE THIS"




MAMMUT:2018年夏、あなたはキリマンジャロ登頂という偉業を成し遂げました。
その後、日常生活を取り戻せましたか?

トム・ベルツ:全く正反対です。プロジェクト以来、メディアが注目するようになり、それは私にとってとても貴重な繋がりと刺激を与えてくれたました。ヨーロッパのアウトドアフィルムフェスティバルではアダム・オンドラやダニー・アーノルドという世界的なアスリートたちが私のパフォーマンスを祝福してくれたのです。それは、例えるなら偉大なミュージシャン、レニー・クラヴィッツから祝福をうけるようなもの!
いまでも、Mammutが「やあトム!あなたの話を聞かせて!」と声を掛けてくれたことを、とても誇りに思っています。社会はまだ重度の身体障害者として見ていますからね、これはとても画期的なことです。

あなたはプロジェクトを通して人々を勇気づけ、挑戦することの大切さを伝えたいと思っていますか?

私はポジティブなことにトライする努力をしています。人は皆、それぞれの強みと美しさ持っていると思っているからです。私にとってのキリマンジャロのように、誰しも直面しなければならない課題を抱えています。私はよく友人や家族に「私にできるのだから、きっと君にもできるよ」と言います。それは人をやる気にさせる私なりのテクニックですね。

左足について教えてください。

少年時代、クラスで一番足が速くて運動が大好でした。でもある日、走るのが遅くなって左足が痛み始めたのです。それは激痛ではなくズキズキとしたもの。病院に行って精密検査をしたところ、左膝に癌腫瘍が見つかりました。私は即入院して治療を開始し抗がん剤の副作用に苦しみました。医者は私の足を救おうとしましたが、癌はすでに広範囲に広がっていて足を切断せざるを得なかったのです。手術後、歩き方やジャンプの仕方などを訓練しましたが、バランス感覚を失った私にとってそれは悪夢のような日々でした…そして私は比較的早い段階で義足を断念し松葉杖を使うことを決めました。
なぜ?

義足は、サーフィン用、ランニング用、ハイキング用と、アクティビティ毎に異なる義足が一生必要なのです。それは私には負担が大きすぎました。

キリマンジャロに登頂するアイディアはどのように思いついたのですか?

まだ両足があった頃、父とアフリカのTVドキュメンタリーや「ライオンキング」を観て、とても魅了されました。どちらにもキリマンジャロが登場していました。しかし、片足を失ってから23年間、私は何にもチェレンジしてこなかったことに気づいたのです。左足がないという障害が文字通り私の人生の足かせになっていました。そこで私は、キリマンジャロに登るという大きなチャレンジを打ち立てました。このチャレンジを思いついたのが2017年の中頃でした。成功するかどうかわからないことにチャレンジしてみたいと思ったのです。私がこのチャレンジを両親に打ち明けた時、彼らはそれほど驚きませんでした。

キリマンジャロ登山への準備はどうでしたか?

それは興味深い質問ですね(笑)。私は登山の準備をほとんどしませんでした。ただ、目につくところすべてにキリマンジャロの写真を貼り、沢山のドキュメンタリームービーを観ました。23年間松葉杖の生活をしていたので体力には自身があったのです。一度だけバルルホルンという標高3,650mの山でトレーニングをしました。本当にたったそれだけです。何よりも自分の精神力のみで臨みました。そしてその精神力こそがキリマンジャロへと導きました。

キリマンジャロへの挑戦はどうでしたか?
挫けそうになったり、自分自身を奮い立たせるような瞬間はありましたか?

キリマンジャロはいつも目の前にそびえた立っていたので目標を見失うことはなかったし、徐々に近づいていく高揚感もありました。もちろん前に進むには多くのエネルギーも必要でしたが、プロジェクト全体はとても楽しかったです。カメラクルー、カメラマン、友人など、沢山の人が参加してくれたました。それは、学校の遠足のようでもあり、大規模なパーティーのようでもありました。そして本当によく笑った。私たちは見知らぬもの同士でキリマンジャロを登り始め、下山するころには友達になっていました。みんな信じられないほどフレンドリーでオープンで、私の障害を全く別の観点から見てくれました。今思い出しても感動します。
私の体力は最後の最後まで尽きませんでしたが、標高5,600メートルくらいで寒さに苦しみました。-10°Cと最大65 km / hの強風により、顔がかなり痛くなり、歩けば歩くほど呼吸が苦しくなって、筋肉も凍えそうでした。そんな時ガイドたちは歌を歌って私を励ましてくれました。彼らには本当に助けられました。

頂上に到着した時、その瞬間を歓喜することはできましたか?

最初は、私がなぜそこにいるのかを思い出すまで言葉がでてきませんでした。誰も8歳の私にキリマンジャロに登頂できるとは言わなかったでしょう。そして普通の生活を送ることができるなんて誰も言わなかったのです。その瞬間涙が溢れてきました。そして、実現したいと本気で思うなら不可能なんてない。「やった!成し遂げたぞ!」それがすべてです。

ドイツに戻ったとき、どのように感じましたか?拍子抜けしましたか?

私の周りにはMammutをはじめ、私の物語に関心を持っている人々がいましたが、家路に着いたその時から、また新たな物語が動き始めました。映像を見た制作会社が、この映像をヨーロッパのアウトドアフィルムツアーで上映したいと依頼してきたのです。私はドイツに戻ったことを1週間ほど黙っていたのですが、Instagramで戻ってきたことを知らせた途端、電話が鳴り止みませんでした。講演会やフィルムツアーへの参加、テレビやラジオ番組の出演依頼など。多くの人々が私の物語に関心を持ってくれて本当に感謝しています。

トム、貴重なお話しをありがとう。
 

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