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Rise with the Mountain SAFETY SNOW
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サンネ・モナ ~雪崩からの生還者



かつてスキー界の新星として注目されたサンネ・モナ。彼女はゲレンデでの優雅さに加え、卓越した技術で知られていました。しかしある日、すべてが変わりました。

流れ落ちる雪、恐ろしい静寂、頭上に聞こえる足音。

サンネはすぐに救助されましたが、この雪崩事故が引き起こした心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、彼女がかつてスキーで感じていた喜びを奪いました。

サンネはどのように事故に合い、そしてどのように再び山を安全に楽しむために奮闘しているのでしょうか。












ローカルフリーライドスキーシリーズ



サンネ・モナがエンゲルベルクに着いたとき、彼女はスキー板すら持って来ていませんでした。スウェーデンのオーレ出身の彼女は、モーグルスキーで有名でしたが、スウェーデンのヨーロッパ代表チームにわずかに届かず、悔しさからプロとしてのキャリアを諦めようとしていました。しかしそれから5年後、エンゲルベルクの広大な深雪の斜面で、スキーに対する情熱と喜びを思い出しました。彼女は、フリーライダーとして第2のスキーキャリアをスタートさせることになりました。そして、サンネはフリーライドワールドツアーの予選に参加し、トップ選手たちと競い合っていました。



しかし、そんな中、事故は起きました。サンネは雪崩に巻き込まれ、迅速に救助されましたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という形で後遺症に苦しむことになります。この動画のインタビューでは、サンネがどのようにしてトラウマと向き合っているかを詳しく語っています。




“それは「どちらが勝つのか?」という状況でした。
恐怖が勝つか?それとも私が勝つのか?”








サンネの旅~雪崩からの生還そして回復への軌跡




その日、いったい何が起こったのですか?



-エンゲルベルクで撮影をしていました。私たちは良い仲間で、その日は素晴らしい天気、そして新雪が50センチ積もっていました。



雪が降った翌日ということで、少しリスクがあることはわかっていました。ヨッホシュトックのリフトまで行き、そこからさらに登るためにスキーを外しました。少し会話をしたあと、友人が先に進み、私がその後に続きました。私たちの間には約4メートルほどの距離がありました。地形が急峻になってきたところで、友人は肩からスキーを下ろし、アックスで登り始めました。最初のプッシュの瞬間に“ドーン”という音が聞こえ、その後、すべてがもの凄いスピードで進んでいきました。


事故は突然起こったのですか?安全面については考えていましたか?



-まったく予想していませんでした。私はエンゲルベルクに2年間住んでいたので、そこでどんなことが起こるかはすべて知っていると思い込んでいました。でも、そうではありませんでした。


この瞬間について何か覚えていることはありますか?



-“ドーン”という音と、何もないところに立っているような感覚を覚えています。足元からカーペットを引き抜かれるような感じで、地面が消えてしまったのです。その後のことは覚えていません。動きが止まるまで、すべてが真っ暗でした。雪の下に閉じ込められていることに気づきましたが、動けません。誰かが叫んでいる声が聞こえて、それが自分だと気づきました。酸素を節約しなくてはいけないと思い、叫ぶのをやめるように自分に言い聞かせました。今思うと本当にどうかしていましたね。




“酸素を節約しなくてはいけないと思ったので、叫ぶのをやめるよう自分に言い聞かせました。
本当にどうかしていました。”







どれくらいの時間、雪の下にいたのですか?



-雪の中に長くいたわけではありませんでした。プローブがブーツに当たるのを感じ、友人が私の上を歩いて話しているのが聞こえました。もちろん見えませんでしたが、声は聞こえましたし、もう大丈夫だと思いました。そして、彼らは私を掘り出してくれたのです。


事故の経験が自身にどれだけの影響を与えているか気づくのに、どのくらい時間がかかりましたか?



-半年後に再び雪上に戻るまで、どれほど精神的に影響していたかは気づきませんでした。ただ、夏の間ずっとその兆候はありました。風の強い時のゴンドラやスピードを出す車が怖い、大きな音の中での不快感など。とは言え、それが事故のせいだとは具体的に認識していませんでした。しかし、シーズンの終盤から、新雪の斜面に出ることに抵抗を感じていましたし、もう雪を信用していませんでした。


スキーをやめるという選択肢はなかったのですか?



-考えたこともありませんでした。でもしばらくして、それが多くの人にとっては当然の選択肢なのだと気づきました。その時期、スキーを楽しめず、本当に辛い時間を過ごしていました。恐怖と必死に闘っていて、とても嫌な気持ちでした。まるで「どちらが勝つか?」という状況になっていました。恐怖が勝つのか?それとも自分が勝つのか?というような。新雪のスキーラインにドロップインするのが危険だという直感なのか、それとも恐怖心が「死ぬかもしれない」と私に警告しているのか、自分でもわかりませんでした。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えてからは、雪崩が起きる可能性がまったくない状況でも「死んでしまうかもしれない」と常に感じていました。その場に立っていると、それらを区別することはとても難しかったです。








まだ怖いですか?



-ええ、まだ怖いです。でも恐怖を感じ無くなりたいかどうかはわかりません。あの恐怖があったからこそ、もっとトレーニングをしたり、雪層について学んだり、信頼できる人たちと一緒に滑ったり、山のどこでいつ何をするべきかをより意識するようになりました。自分で判断できるようになるためには、これらすべての事を学ぶ必要がありました。誰かに頼って判断してもらい、ただ従うだけにはなりたくありません。あの日の私はそうしていましたから。


そのような考えに至るまでに、どのようなプロセスを踏んだのですか?



-事故の数週間後から、そのシーズンの残り2週間くらいはスキーを続けていましたが、ほとんどショック状態だったのであまり深く考えていませんでした。でもその翌年の秋、再び雪の上に戻り写真撮影に出かけたとき、ゲレンデを離れてバックカントリーに出るなんて絶対無理だと感じました。でも撮影のために仕方なくやらなければならなかった。それは仕事で、私はスキーヤーだから、やらない選択肢はありませんでした。ゴーグルの下で一日中泣きながら、とにかく頑張りましたが、自分が大きな問題を抱えていることに気がつきました。その冬の間は、ずっと悪夢のようでした。予選ツアーには出場していましたが、実際の大会会場ではとても安全だと感じていても、スタートゲートにたどり着くまでが大問題でした。大抵の場合、スキー板を担いで広い斜面を登ったり横切ったりする必要があるので、そのたびに本当に悪い夢を見ているようでした。


いつから変わり始めたのでしょうか?



-昨年から、つまり、事故から5年後です。新雪が積もり青空が広がる日には、エンゲルベルクの皆がスキーに出かけますが、私は行けませんでした。前日から不安を感じていて、いつも何か言い訳を見つけて行かないようにしていました。人に聞かれても、「できない。私には無理」とは言えず、恥ずかしくて黙っていました。面白いのは、周りの人は私が撮影や大会に出ているのを見ていたので、大丈夫だと思っていたことです。プライベートだと、ガイドやクルーの世話なしにはスキーに行けないとは知らなかったのです。



事故から数年が経って少し調子が良くなったと感じるようになった頃、愛犬と一緒にスキーに行き、ゆったりとした時間を過ごすことができました。危険もなく、問題もありませんでした。知り合いに会ったら、「今日は犬と一緒の日だから」と答えるだけでした。それが外に出る言い訳でした。



そしてついに、私はスキーをすることができるようになりました。幸せでした。自分の決断で、新しい雪の思い出を作ることができるようになったからです。




“私はスキーをすることができるようになり、そして幸せでした。
自分の決断で、新しい雪の思い出を作ることができるようになったからです。”







この経験によって、あなたの考えはどのように変わったのでしょうか?



-事故の前は、『大いなる自然の支配』という概念を全く理解していませんでした。でも今は理解していますし、そのことが自分を打ちのめし、人が変わったような謙虚さをもたらしました。スキーは多くの人にとって、とても大切なものです、そして私にとって、スキーはもはやスポーツではありません。それは雪上での瞑想のようなもので、感じることなのです。それは間違いなくこの世のものとは思えない感覚で、今のところ、他のどこでもそのような感覚は感じられませんし、おそらく今後も感じることはないでしょう。





 
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